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2009年4月

お母さん

以下は、4/25の朝日新聞「天声人語」の文章です

とても感銘を受けたので、少し長くなりますが、ここに引用、紹介したいと思います

福島県で刊行されている児童詩誌『青い窓』を、いつも送っていただく。主宰していた佐藤浩さんから聞き、ずいぶん前の小欄が紹介した一編を、逸話とともに思い出した▼〈お母さんが 車に はねられた/お母さんが 病院の れいあんしつに ねかされていた/お母さんを かそうばへ つれていった/お母さんが ほねに なってしまった……お母さんを ほとけさまに おいた/お母さんを まいにち おがんでいる〉▼書いた小学4年生に、担任は「お母さん」は1回だけでいいと指導したそうだ。だが、児童は直そうとしない。迷った先生から相談を受けて、佐藤さんは言った。「何回でも、何万遍でも書かせてあげてください。その子の悲しみをわかちもって……」▼大阪で行方不明になり、遺体で見つかった女児も小学4年生だった。虐待の末に死亡した疑いが強いという。何度声に出し、心の中で、「お母さん」と叫んだかと思うと胸がつぶれる。恐怖から救ってほしい一心で、である▼母娘は内縁の夫と暮らしていた。母親は救えなかったのか、救わなかったのか。わが子が埋められた後で捜索願を出していた。保育園の写真に母娘は満面の笑みで寄り添っている。「お母さん」と何万遍も慕ったことだろう。悲劇との落差に声もない▼〈迷い子の親はしゃがれて礼を言い〉と古川柳にある。声をからして捜し回り、やっと見つかったと親も周りも安堵(あんど)する。子どもたちの胸に、母を慕い、父を思う詩心がふくらんでいく幸せを、社会として守らねばなるまい

前半の文章では、お母さん、お母さん・・・・・とずっと呼び続けていたい、児童の気持ちが胸に突き刺さってくるようです

後半の文章では、”何度声を出し、心の中で「お母さん」と叫んだかと思うと胸がつぶれる。」と書かれています。

まったく同感です。

子どもは、どんな親でも慕ってやまないのに・・・

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